ワールドカップの眺め方

サッカーワールドカップの眺め方

 

 

わたしは、さほどサッカーに興味はない。
小さいころからプレイヤーとして、やってはいたが、日本軍に入る気などさらさら無かった。

 

この度、日本軍は、予選リーグを1勝1敗1分で、勝ち上がったらしい。さっさと負ければ良いのに、と思って眺めていた。
日本軍が勝てば、渋谷で、その勝利を祝うと称して、ナショナリズムを過剰に増大させている。


♫ニッポン、ニッポン、ニッポン
と叫んでいる群衆の姿は、極めて異様だ。

そしてまた、それぞれの国家軍の勝敗とそれを取り巻くサポーターと言う名の援軍隊の姿は、極めて異様な光景だ。

2年後に、東京でオリンピックをやると言っているわけだが、都民のナショナリズムは、かなり刺激されるのだろうと思うと、寒気がする。


♫ニッポン、ニッポン
と連呼するのが、さも当たり前であるかのような雰囲気が形成されていることに、恐怖を感じる。そして、ヒノマルを持ち込もうとする輩が、ゾロゾロいる。
天皇の代替わりを巡って、すでに、ヒノマルを強制しようという雰囲気づくりがなされているように感じている。

 

 

そして、日本軍は、決勝リーグ初戦で、あっさり敗退。ナショナリズムの増大を防げてよかった。
さっさと負けろや、と思っていた。

 

このような発言が、
反日的と映るならば、反日で、おおいに結構。
日本(帝国主義)軍を認める気など、これっぽっちもない。さっさと日本軍なんか解散しろや、とさえ私は感じている。

 

かつて、旧ソ連などは、自国の宣伝を兼ねて、一国社会主義論が全開していた時期、国家ぐるみで運動選手の育成に、乗り出していた。
左翼社会主義による国家意識のすさまじい強調だった。一国社会主義論の限界をみていたのだと、改めて今思い出す。


世界共産主義を目指すはずだったソ連邦が、いつの間にか、一国社会主義を評価し、世界革命を放棄し、やがて、ソ連邦自体が崩壊した。

 

 

国家を強調する輩には、気をつけろ!
私たちは、国家のためなんかに生きているわけじゃない。私たちは、私たちのために、私たち自身の人生を生きているのだ。
国家意識など、棄てて仕舞えば良いのだ。