帝国大学として存在していた東大のありようから

帝国大学として存在していた

東大のありようから

 


☆東大学内広報 1535号への違和感

 


150年史を編纂するという対談を載せた学内広報のトップ写真に、空軍ブルーインパルスと時計台を掲載した。

 


150年史と空軍というマッチングの悪さに気付いて、ゾッとするものを感じた。

 


以下その感覚を説明したい。

 


1877年に発足した東京大学

1886年帝国大学、として再編されて存在していた歴史。

それは、日本が国家として帝国主義を標榜し、その価値軸に従って、大学を再編したことを表している。

 


帝国大学令の第一条には「帝国大学ハ国家ノ須要ニ応スル学術技芸ヲ教授シ及其蘊奥ヲ攻究スルヲ以テ目的トス」とある。

 


私はこの言葉を、大学入学時の入学式において時の総長から聞かされた。国家のための大学なのだと、入学式その当日に言われ、なんともいえない気分になったことを、何十年を経過した今も忘れることはできない。

 


新制大学に生まれ変わったはずの東大で、帝国大学令の第一条が、読み上げられて肯定的な文脈で議論されるその姿に、歴史的な問題とそれを乗り越えていこうとする主体が存在しなければ、歴史は繰り返す、ということを、その後の学習過程のなかで、私は学んだ。

 


国家が侵略戦争をしているならば、その国家の方向に追随し、【国家の須要に応じた】研究をすることを是とした、帝国大学

 


その歴史をどのように総括しようとしているのか、その議論の結論が、空軍ブルーインパルスと時計台、という写真に象徴的に表現されているように、わたしには見えた。

 


再び、東大は、総体として、軍隊のために、そのエネルギーを注ぎ、帝国大学化していくのだ、と学内に広報しているのだ、とわたしには映った。

 


それは、わたしだけに湧き出した個人的な感情にすぎないものなのだろうか?

 


SJ