スカートの拡張

「男性」が即座に装着できるスカートとは?

 


 それはどのような概念によって可能か?

 そして、何が今問題か?

 


 性の多様化が叫ばれて、制服という概念においても、制服のジェンダーレス化がほどこされようとしている。先進的な一部の学校は、ジェンダーレス化を導入した。現実的には、女性のパンツスタイルの導入が見られることが圧倒的な大半であろうと考えられている。男性のスカートスタイルを3年間実行に移すには、それなりの壁があると考えられる。制度的に保障した、に過ぎないという側面が今のところ強い。

 この壁を突破するために必要なことは何か?

 


 1、主体の側の問題

 2、制服自体のジェンダーレス化の問題

 3、客体の側の問題

 4、その他

といった形で、議論を進めていきたい、と考える。

 

 

 

 


1、「男性」がズボンスタイルに問題を感じるのは、どのような時なのか?例えば、夏の暑いとき、長ズボンは、暑い。本来ならば、短パンにしたいところだろう。そこを埋めるために、スカートスタイルの導入を図るのはどうか?夏服のスカート化戦略。冬服において、問題を感じている男性とはどのような存在なのだろうか?

 スカートスタイルが、ブームとして、生じた場合には、大きな変化が起きるものと考えられる。そのブームをいかに起こすかは、先進的な主体を如何に形成するか、という問題として、展開すべきだろう。

 


2、スカートスタイルか、ズボンスタイルか?という2分した発想で制服を考えている点に大きな問題がある。その境界領域をもっと検討して、ジェンダーレス化を図る必要があると、強く感じる。

 スカートのようなズボン、ズボンのようなスカート、を模索することは、もっとあってよいと考える。

 下着の概念を変え、下着ではなく、見せることを前提としたものと考えた時、もっと自由度が増すと考えられる。つまり、スカートや、ズボンは、補助的なもので、体温維持のための道具として、指向性を発揮させればよいのだ。

 と考えると、スカートを選ぶか、ズボンを選ぶかは、性とは無関係なものとして情況化できる。

 下着という概念の解体をもたらせばよいのだ。下着に変わるものを身につけて、それを補強する、補助するものとして、スカートやズボンを装着すればよい。

 


3、スカートスタイルの男性をみる視線の問題。視線の先の対象のジェンダー規範が、シスではないだろうという先入観に基づく情況が、はっきりとある。その中では、容易には、選択できない行動規範となる。何で、スカートスタイル?と、常に疑問の目に晒されながら、スカートを選択できる情況下には、現状ないように、私には見える。客観情勢を整えるために、さらなる行動は明らかに必要だ。

 


4、とある有名人、たとえばジャニーズ系などが、カッコよい雰囲気で、スカートスタイルを実践し始めたら、情況は一気に変わる、のではないか?

 今、そこに、大きな実践課題があるのではないか?とみえる。

 


2022.12.7.

SJ

 


追加

 バスタオルを腰に巻いた状態。 

 これが一つの原型になる、と思う。

 このスタイルに不自然さは、ない。

 この経験値を広げて、その先にどのような世界が広がるのか?ジェンダー規範を乗り越えるなにごとか、に達するために、何が必要か?

 


 シャワーから出た後、多くの人は、濡れた水をタオルに含ませて、体温の喪失を防ぐまたは、性器を隠す、保護するために、バスタオルを使用する。その際、腰にタオルを巻く。

 これがスカートをはくことの起点となる。

 小学生の水着の着替えに用いられているバスタオルは、すでに、スカート状に丸く縫われて、ゴム製で落下しないようになっている。つまり、男性も、スカートはすでに履いていた、ということになる。このことに自覚的な主体は、どれほど育っているのだろうか?

 

 体温保持の観点からは、

  ズボン >   スカートだが、

 逆に、体温放出の観点からは、

  ズボン <   スカート

 という効果になる。

 

 夏はスカート、冬はズボンというのが、ジェンダーに関わりなく使用されてよいファッションコードであろうと、機能的な側面からは、考えられる。そこに突き進まない理由は何か?と思考を進めることに、価値はあるだろう。

 ファッションは、機能だけで動くものではない。その当たり前のことを確認した上で、しかしなお、機能性に沿って、よりフィットした方向に中心軸が移動していくと考える筋はあってよい。

 と考えるならば、スカートでは寒い冬に、ズボンスタイルの女性が増え、スカートに分厚いストッキングを履く行動は、わかりやすい、と言える。

 


 スカートスタイルの肝

 下着を見せないように動く。下着は見せないもの、という価値軸が依然として作用している。そこから意識を改革することは、下着メーカーの戦略に対抗することを意味する。上着下着、という概念ではなく、内着、中着、外着と言った形で、概念を解体すべきだろう。

 下着としてのシャツを見せないものとする価値観から、T shirtとして、見せてよいものに変えてきた歴史を思い出せばよい。

 これの下半身版を起こすことが、今問われていることになる。

 価値軸の変更は、一定の闘争を伴う。