ハロウィン 第二日
2022.渋谷ハロウィン第二日
2022.10.31.
12.00
地元の商店街を練り歩く、幼稚園児の姿を見る。商店主が対応している様子は、牧歌的。
クリスマスではみられない風景。街との関係性はつかない。それほどにキリスト教の色がついている。
韓国にて死者が相当数、出たことを知る。圧死。一箇所にすさまじい数の人が詰めかけた。心臓マッサージを受けている者の映像もみた。
祭に熱狂する、ということは、祭の元々の性質であり、それこそが祭なのだ、と認識している。数年前から渋谷ハロウィンを路上観察しているのも、このことと関わっている。
今、若年層民衆のエネルギーはどこに向かっているのか、どこに行きつこうとしているのか。その様子を少しでもつかみたくて、路上を観察している。
車両をひっくり返す力は、この祭にはある。
12.30.
ハチ公前。ハロウィン?なのかというくらい、その色がない。が、夜に備えてなのか、ハチ公前広場の一画が鉄柵で立ち入り禁止にされている。滞留するのを防ぎたいのだろうが、韓国の映像を見た後では、鉄柵は危険だろうと考える。
3年前?のように、109前の路上を解放するべく促す人々が出て来るかどうか。あるいは、ホコ天状態化?にできるのかどうか。
15.30
ハチ公前。右翼が一人演説。
ハロウィン隊が、登場し始めている。ざっと30人くらい?バラバラと。鉄柵が依然として設置されている。鉄柵がらみで、騒動があるか?
23.00.
ハチ公前。ハロウィン本番。
昨日とは違う空気感。コスプレ隊の数が違う。帰路につくものもいるが、これからが本番なのか?
ある種の指揮系統が作用すれば、ストリートは、解放できる。その意味は問わないとするならば。
スクランブルに車が5台停止し、車を乗り捨てたら、交通は麻痺し、スクランブルを解放するよりなくなるだろう。
午後一につくられていたハチ公横の鉄柵は解除されていた。警察権力による陣地採りだったのか?
バイクの周遊隊が目につく。
109前が、解放されることは、なかった?ように見える。
警察による制御力の前で、祭りとしての機能は、部分的にしか機能していない。民衆の側からの決定的なものはなにもなく、なんらの仕掛けもない、ように見える。
ストリートを奪還する、そんな動きは残念ながら、どこにもない。
交通規制をかけるなんて、この時間簡単なこと。ストリートを奪還して、大騒ぎする、そんな経験値はあって良いだろう、と、私は思う。
酒を禁じ、爆音を禁じ、ただ仮装するだけに堕ちている。解放のための祭、ではなく、自由の抑圧条件下の祭に落ちた。
渋谷ハロウィンには、なにかある、と思わせる何か、を次にどう創れるか。そこが文化運動としては、問われているのだと、認識する。
宗教勢力一部ハロウィンに潜り込んでいたのが見えた。ハロウィンは悪だ。が、神を信じれば、天国に行ける、などと主張している。
もっと多様な潮流が集合、集結する中で、また新しい価値が生み出せる可能性は、あるのではないか?
24.00.離脱。
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1日目との比較では、2日目は、本番なんだと感じた。しかし、規制が強く、表現は弱い。
立ち止まるな、といううるさいほどの警察の介入。民衆の自由度が極限的に小さくなっている。
ハチ公前スクランブル交差点を、完全解放すれば良くないか?と素朴に思う。
なぜ民衆のパワーを発現させない?のか?