五輪垂れ幕
五輪垂れ幕へのメッセージ
五輪垂れ幕が、都内各所に持ち込まれて一年半になる。その時々に思っていたことがある。
なんのための垂れ幕か?
だれのための垂れ幕か?
その使用目的は?
目的に反することはないか?
そんなことを意識させられながら、時を過ごさざるをえなかった。
日の丸に対する嫌悪感とはまた別の、ある種の嫌悪感を抱き続けた、一年半だった。
五輪が延期になっても、2020の数字を変えないわけだから、2021が本来の数字だ、として、
2020→2021への 自主的な書き換え運動を、やってみようか?と思っていた時期もある。
ささやかな抵抗運動として。
同じ想いで、その抵抗運動に、創意工夫を施すものが出てくるかもしれないと、期待しながら。
0→φ φ Φ
と書き換えることで、そこに、ギリシャ語のファイの意味を持たせ、空集合を表す記号として、機能させることも可能だと、思っている。
空集合とは、そこには、何も存在していない、という意味だ。
つまり、2020の五輪には何もない、無の存在だ、というメッセージを、そこに込めたことに、成功することになる。
反対運動のゆくえをみながら、さて実際どうするか、と考えていた。
油性マジックインクで、棒線を引く。対象に対して、1秒で終わる。
マジックテープを貼る。簡単に剥がせるわけだが、犯罪案件としては、立件しづらいのではないか。
カッターで、縦棒を引き裂く。
など。
犯罪として立件されないレベルで、ささやかだが、確実な抵抗運動として、試みるための方法は何か、考えてみるに値する課題だと今も考えている。
基本スタンスは、間違いを正す。
2020ではなく、2021である。
間違いがなんであるのかは、個々人の判断による。私自身は、五輪を開催することが間違いだと考えているが、開催の仕方を間違えていると考えたり、開催方法、競技種目、をまちがえている、と考える人もいるだろう。
反五輪の裾野を広げ、問題意識を深めていくために、各所にて議論が起きることを期待したい。
2021.8.8.12.00