被抑圧者の教育学 2−3

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 真実の言葉というものは、世界を変革する力がある。人間として存在するということは、世界を言葉に出して主体的に肯定して引き受け、その上で世界を変えていくことである。引き受けられた世界は、引き受けたものにさらなる問題を返し、さらに言葉による工程を進めるべく迫ってくることになる。

 対話とは世界を媒介とする人間同士の出会いであり、世界を引き受けるためのものである。p172

→言葉の持つ真実性。真実の言葉。情況を捉えた言葉、というものが確かに存在している。世界を引き受け、引き受けた世界を変革の対象とする。世界の変革と自己変革が同時に進行する。

 世界の変革と、自己の変革をつなぐものとして、対話がある。対話を通して、人は変わる。変革されていく。

→→「人を変えようする前に、まず自分が変われ。」「他者変革の前に、自己変革を!」と言った言葉が、かつて解放教育でよく用いられていた。子どもを変えたいのならば、まず、教師自らの行動を改め、教師自らが変革して、子どもの前に登場せよ、と言った言葉が、話されていた当時を思い出す。

→→→学生運動の中で、明らかに異なる思考形態を持っている学生に対して、相当に粘り強く、対話を重ねたことがある。「とにかくこの闘争場面を見て欲しい。参加する、しないなど関係ない。闘争の現場に立ち、それをみてほしい。それだけが私の願い」と何度となく説得を重ねた。すると、嫌がっていた当該の心が開き、言葉の糸がつながった。「検討させていただきます」という言葉が出て、実際に当日、闘争の現場に現れてくれたのだ。

 私にとって、この場面は、とても大きな意味を持った。無理筋だろうと、思っていた説得が、現実に対話する中で、無理筋でもなく、ある回路で、離れていた思考がつながっていく。対話というものの持つ力を実感した場面だった。

 


→→→→真実の言葉のもつ力。私は、嘘だと思って言葉を使うことはしない。対話は真実の言葉のぶつかり合いなのだと思っている。対話は科学ではない。対話は、科学の対象ではなく、文学の対象だろうとさえ思う。

 自己をさらけ出すと、対話という場面では、大きな力を発揮することがしばしばある。さらけ出すべき自己の経験が、場を支配することもある。しかし、発言者の意図とは、異なる次元にこの話が移行することもしばしばある。経験は、絶対的なものではありえない。個人には個人的な主観が必ずある。それを対話によって一定程度は共有できるが、違いは違いとして認め合うということも必要なのだろう。

 全てを理解し合うことは原理的にできない。しかし、わかり合おうとすることは、無限にできる。            2021-9-27

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 現実に起こっていることを固定されたものとしてとらえるのではなく、プロセスととらえ、常に生成されていくもとして捉えるということだ。自らを常に動的な状態に置き、危険はあっても怖れることなく、今この時に浸るということである。

 現状を批判的に見ることができる人にとって重要なことは、人間が絶え間なくより人間的であることを目指すための現状改革を行なっていくことである。批判的な思考を要するような真の対話だけが、さらなる批判的思考を生み出すことができる。p181-182

 本当に人間的な教育者や本来の意味での革命家にとって、活動の対象は共に変革すべき「現状」そのものなのであり、人々自体が変革すべき対象なのではない。現状はそのままに、そこにいる人々をこそ活動対象と見なして、彼らを現実に適応させるように教化しようとするのが、いわば支配者である。p185

  ヒューマニストの仕事は、抑圧者のスローガンによって、いわば内なる抑圧者を自らのうちに抱えるようになってしまった人たちが、本当の意味での人間であることができるように、自分自身を意識化することを助けることこそが、仕事である。人々との対話、すなわち、そこにある情況を客観的なものとして知るだけでなく、その客観的情況をどのように認識するか、自分のいる世界のうちで、自分をどのように又、どの程度認識できているかということを、問題にするのである。pp187-188

 


→批判的思考を通して、現実を眺め、変革の主体として、立ち上がることを促すことが、教育者や革命家として、必要なこと。変革すべきは、「現状」であって、現状が変革されれば、人は変わる。自らの位置を客観的に意識化し、批判的思考によって、現実を変革し、その中で、自分も変わっていくという実践のあり方を、示している。

→→「今」を固定的に見る思考は、抑圧されるとしばしば生じる。「今」が苦しいと、苦しみが永続化するのではないかと、恐れ慄く。その今を支配しているものがなんなのか、客観的に見極める力が宿れば、苦しみから解放される。

→→→抑圧された学生の中にある抑圧者の刻印。抑圧者のルールが、抑圧された学生の体に染み込んでいるケース。「ノートは綺麗に取らなければなりません。先生からそう教わりました。」綺麗に取るという、恐るべきルール。何のために、教師のくだらない板書をそのまま学生は書き写さねばならないのか?教師の管理下に置かれて優等生ぶっているだけで、全く何の内容もないノートを検閲までされて、ハンコまで押されている某高校の徹底管理体制。これを知った上で、私に何ができるか? ノートを綺麗に取らねばならないということは、一つの偏った思考方法であるということを、丁寧に説明しつつ、これは洗脳に過ぎないことを知らせる。脱洗脳された大脳から、次にどのように自由なノートを取ることが可能か、が議論されるべきテーマとなる。

 


→→→→被抑圧者の中にある抑圧者の痕跡:

☆赤信号で歩道を渡らない。

 国家によって管理された「信号機」の指示に従順に従うこと。

☆授業中歩き回らない。しゃべらない。立ち上がらない。

 教師によって管理され切った姿。教師に良いように管理・支配されているだけ。教師王国の単なるルール。学生本意で展開されていない証拠。

☆受付順になされる診察

 医師権力によって順序が決められる。本来的には、必要に応じた診察順序が客観的に行われるべき。医師の言うことにただただ従うだけの患者。

☆授業中にトイレに行かない、行けない。

 親からのしつけとしての排泄教育とそれを引き継いでいる教師権力による時間管理、空間管理。排泄行為さえ自由にできない存在に圧倒的な多数が堕ちている。教師管理の授業を打ち破るためには、大挙して合法的にトイレに駆け込むことだ!このことを通して、管理者を打ち破り、主客の関係性を決定的なまでに変革できる、かもしれない。

☆ワクチンを我先に打つ民衆の姿

 国家による無料ワクチンの提供という異常な事態のさ中において。国家が危機に瀕しているとき、ワクチンという手法で、民衆を国家の管理下におこうとし、「ワクチン大臣」を配置する。さも、ワクチンを打つことが、「正しい行動である」化の現象が蔓延しつつある。<タダほど怖いものはない>と私は、常々思っている部分があるわけだが、インフルエンザ無料ワクチンから有料化された歴史を考えたとき、果たして、「ワクチン」の良し悪しは、私の中では、依然として判断はつかない。

 国家の思惑ははっきりしているわけで、その方向でものを考えないようにはしている。一方で、ワクチンの良し悪しの判断の材料となるデータは、集めようとしている。ただし、ワクチン賛成派からのデータは、副作用情報が欠落しがちであることを頭に置いておかねばならない。 

→→→→→現状を批判的に見る。今置かれている現実を肯定する立場ではなく、現実を変革の対象として見る。現実を仕切っているルール、条件は必ず複数存在する。そのいくつかの条件を見直すことを通して、現実は必ず変革されていく。

 時間軸、空間軸を支配している条件を見定めること。

☆☆思考実験:「30分に一度手を洗わなければならない」と考えている人を前にして。   どのような対話的な対応が考えられるか?     2021-9-28  

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 人びとが置かれている現実とそして、教育者と人びとが共有する現実の認識のうちに、教育プログラムの内容を探求すべきなのである。この探求のときこそ、解放の実践としての対話の教育の始まりである。具体的な探究の作業とは、人びとのいわばテーマの宇宙というものの探索のことであり、それはすなわち生成テーマの探究のことである。pp190-191 

→対話の話題設定のこと。授業場面であれば、その日の授業のテーマ性について。何について、どのような方向でと言った方向性。

 しかし、そこに既成の流れを作り過ぎると、ベルトコンベアー的な色合いが出てくる。

 教育者と被教育者の間で、共有しているテーマで、それを深める形の対話設定であり、問題意識をぶつけ合いやすい形のものが、選び出されるべきなのだろう。

 テーマの切り出し方で、その日のその授業の流れが、決定的に支配されかねない。

 


→→既成のカリキュラムに従っている場合であっても、テーマ性を深めていく中で、その日に話題にする内容にまとまりを持たせたり、関連を持たせたり、と、いかようにも活用できる。

 


→→→他者との対話において、話題の設定は、極めて重要なもの。事前に準備するだけで無く、対話している中で、懸命にその先の展開を緊張感を持って探り当てる。必ずや、当該同士の間に、対話すべきリアルな話題があるはず。その話題に、両者がたどりつけるかどうか。そのことに、対話のあり方がかかっている。

 


☆思考実験1

今台風が近づいている。

そんなとき、雪の話をする、と言うカリキュラムのなかで、どのような対話を模索していくのが、妥当なのだろうか?

 


☆思考実験2

ナイフで怪我をした。包帯を薬局で購入しようとしたが、

たまたま売り切れている。

 医療従事者として、当該とどのような対話をすれば良いのだろうか?