日傘

日傘という発想

日傘は、熱よけ、紫外線よけとして、機能してきた。日傘と雨傘を兼用できるものもある。

しかし、多くの場合、ジェンダーに偏りがある。日傘をさすのは、女性、または、病者 という認識が、割と強い認識の枠組みで、形成されてしまっているのではないか?

これは、皮膚をどのように、センシティブな視点で見ているか、ということを突き出すわかりやすい例であろうと思う。

皮膚の美的な観点を、意識されられてきた女性の側に、その負荷がかかっている。見られる側。
一方で、その観点を有さず、見る側としての意識を強制してきた男性の側は、その皮膚の扱いを極めて粗雑な状態にしてきた。

本来のあるべき姿からは、いずれの側も、逸脱しているように見える。

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化粧という行為は、太古においては、祭りとともに行われたものであろうが、西洋近代化が進む中で、西洋近代的な美の中心軸に、他の民族を引きずり込み、儲けるために、資本制が、化粧を、主として、女性の側に強制してきた。

そのプロセスの中で、化粧が皮膚の荒れを作り出すという批判が強まり、さらに、紫外線による皮膚の劣化が言われるようになった結果、UVカット化粧品や皮膚に優しい化粧品、皮膚を育てる化粧品という形で、資本制的には、改良を重ね、化粧品は体制内改良を続けている。
その結果、女性の側が、皮膚にたいするセンシティビティを高く有している。

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化粧の是非を今論じようとは考えていないが、
化粧を通して、ひとは変身できる。つまり、新しい自分を作り出せる可能性がある。それほどに、化粧をめぐる技術は、洗練されている。
それが、特殊メークとして現象化している。


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話を日傘に引き戻す。
日傘は、本来、ジェンダーフリーなツールであるはずのものであるにも関わらず、女性の側の商品として、今の資本制下では機能している。
ある種のムーブメントにより、容易に、ジェンダーフリー化できるのではないかと、思われる。